【映画】野村萬斎主演の時代劇「花戦さ」を観てきた
豊臣秀吉と言えば、誰でも知っている戦国時代の英傑であり、天下統一を成し遂げた覇者でもあります。
そんな秀吉に華道で勝負を挑んだ男を描いた作品が本作「花戦さ」。
いやいや、花で秀吉と勝負するとか無理すぎでしょ〜(笑)、どうやって勝負するの、と興味があったので観てきました。
野村萬斎が演じるのは、どんな主人公なの?
一言で言えば「花バカ」です。
人間としてのステータスのすべてを華道に振っちゃったような人間です。
花を活けることには天才的なセンスを発揮しますが、それ以外はてんでだめ。普通なら名誉である華道の大家という重責も、普通のことができない彼にとっては辛いだけの職務だったりします。
いわゆる変わり者ですね。
当然、表情や仕草までかなり変わった表現をするので、なかなか見ることができない「ちょっと壊れた怪しい野村萬斎」を堪能できます(笑)
どんな話なの?
花戦さ、というタイトルですが、秀吉と勝負するのは最後の最後なので、それほど戦感はありません。
実際のところ、タイトルは「茶と花」のほうがふさわしいでしょう。
というのも、描いている大半は「千利休との友情」なので。
千利休は秀吉と同時代に生きた茶の名人です。
茶と花。
表現する手法は違えど、同じ芸術を志した二人が、だんだんと互いを認め、受け入れていくのがメインストーリーとなります。
しかし、利休は理不尽にも切腹させられてしまいます。
利休の死に衝撃を受ける主人公。
そんな彼に追い打ちをかけるように、暴君とかした秀吉は次々と町人たちを投獄、処刑していきます。
近しい人たちが容赦なく殺される姿を見て、主人公はついに怒り、自分の命をかけた「花を使った談判」−−花戦さを秀吉に仕掛けます。
で、面白いの?
華道と茶道の話なので、地味になるのは仕方がなく、全体的には物静かなストーリーです。インパクトのあるシーンといえば、野村萬斎の変顔くらいです。
利休と萬斎の友情を丹念に、丁寧にとった映画だな、という印象ですね。
タイトル通りの「花戦さ」が始まるのは映画の最後の最後です。ここはちょっとおもしろかったですね。
そもそも、ゴールがむちゃくちゃすぎるので(笑)
だって花ですからね。花を使って暴君である秀吉を諌めるとか、もう意味がわからないわけです。できないよね、それ? と。
普通なら秀吉が激怒して、打ち首獄門の刑で終わりです。
しかし、これは映画。映画である以上、普通はハッピーエンドでなければならないわけで、主人公の首が河原に晒されたエンドではダメなのです。
というわけで、必ず主人公は秀吉を納得させなければいけないわけですが、どう考えても花で諫言するってのが無茶すぎて面白いんですね。
結論だけいうと、そう無茶でもない展開で、秀吉を納得させてしまいます。
- 秀吉の、利休を追い詰めたことへの悔恨
- 文化を愛した信長への憧憬
など、秀吉の心象風景をうまく使って、秀吉を説得しています。このあたりの処理はなかなかうまいなーと思いましたね。
ただ、花戦さ、というタイトルと「秀吉をぎゃふんといわせる」というキャッチはどうかなーと思いますね。全体的な尺の割に戦さシーンは短く、また秀吉をぎゃふんと言わせるほどのカタルシスもないので。そこを売りにするのはちがうんじゃない的な。
【映画】弐瓶勉原作「BLAME!」を観賞。日本のCGアニメも凄いです。
BLAMEという映画を見てきました。
BLAMEは「シドニアの騎士」で有名なマンガ家「弐瓶勉」さんの作品です。
私自身は原作者のファンというわけでもなく
- 私>映画「ブレイム」のチケットをください。
- スタッフ>「ブラム」のチケットですね。
と訂正されるレベルの、熱烈なファンからすれば論外な認識です。シドニアの騎士もマンガを少し読んだことがあるだけで、アニメは未視聴です。
そんな無知な人間による、前情報も信者ブーストもないノーマルな感想を書いてみようと思います。
とりえあず全体としてはどうなのよ?
面白かったです!
フルCGによる映像の独自性も素晴らしいですが、それ以外の部分もよくできています。
まず、世界観がいいですよね、
無限に増殖する都市が暴走を始めて、ネットワークに接続できなくなった人類を排斥(殺害)する、というハードな世界観。
その世界観には数多くの専門用語が散りばめられているのですが、順番に少しずつ、ビジュアルを伴って開示されていくので、事前知識なしでも、その独特な世界観をすんなり理解できます。
無骨な鉄で組み上げられた都市の映像は、まるでFF7に出てくる魔晄都市のようで、ストライク世代の私に刺さります(笑)
で、世界観を理解したところで出てくるのが主人公「霧亥(キリイ)」。
おそろしく無口で何を考えているかよくわからない男で、鬼強い拳銃を持っています。
その男の自己紹介が「人間だ」です。
なのに、目がセンサーになっていてぴこぴこと電子表示が走って視界に映る人たちを分析しているんですね(笑)
いや、人間じゃない! 人間じゃない!
って観客がツッコみを入れる瞬間です。でも、そこではたと気がつくんですね。
え、人間じゃないとしたら、こいつ何なの?
ここまでくると、物語から目を離せなくなります。いやー、計算尽くしの展開。確か、シドニアの騎士でも主人公の出自が特殊だったと思うのですが、このあたりは弐瓶勉さんの語りのテクなのかもしれません。
CGアニメの完成度はどれほど?
日本製フルCGアニメは、ファイナルファンタジーのアドベンドチルドレン以来です(古っ!!)。
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いやー、技術の進歩に驚きましたね。
普通のアニメと比べて、まったく違和感がありません。
厳密には
- たまにキャラクターの動きが「軽すぎる」感じがする
- CGすぎる部分が強くて、手書きじゃないんだな、と感じる部分がある
という感じなのですが、別に見苦しいわけじゃない。それはこの作品の個性であり、エッジであり、特徴なんですよね。
これこそが、CG化の流れに対する、ジャパニメーションの正しい回答です。
CGアニメというと、現状アメリカのピクサースタイルが優勢です。デフォルメしたフィギュアのようなキャラを動かす感じのあれですね。
あれはあれでキャラクターをいきいきと描いていて素晴らしい手法なのですが、ジャパニメーションを支えるセル画とはやっぱり別物なんですよね。ジャパニメーションの進化の系図にあるわけではなく、別のルートで進化したもの、というか。
ジャパニメーションを見て育った世代としては、今までジャパニメーションが積み上げたものの先を見せてほしかったのです。
その見たかった未来が、まさにBLAMEで結実しています。
最新のCGアニメ事情に興味があるなら、この作品はおすすめです。
ストーリーはどうなの?
もちろん、CGだけではありません。物語もすっきりまとまっていて、そつがありません(残念ながら、原作未読のため、どれほど原作をなぞっているかは不明です)。
旅をしている霧亥(キリイ)がとある集落を訪れるところから物語は始まります。
そこで拾ったロボ化した女科学者の残骸(かろうじて頭だけが残っている)がこう言うんですね。
「私を工場に連れていけば、ネットワークにアクセスして、暴走する都市を止めて平和を取り戻せる」
うまいなあ、と思うのは、この科学者が実に怪しいんですね(笑)。
本当のことを言っているように感じさせながらも、なんだか悪だくみをしていそうな空気もあって、ああ、もう、なんだよ! 気になる! となるわけです。
さらに最終決戦がいいんですよね。
村が大規模な襲撃を受けるわけですけど、別の場所で別のことをしようとしていた霧亥(キリイ)が敢然とした足取りで、迷いなく村に戻るんですよね。
無感情で無表情で無口な男が見せる、優しさですよ。
ここらへんからはキリイがカッコよすぎです。村を容赦なく焼き払う上級セーフガードに、どんぴしゃのタイミングで助けにくるキリイ。村人たちのために戦う姿はまさにヒーロー。最高にカッコいいです。
最後にはきっちり熱いバトルも仕込んでいて、カタルシスを与えてくれます。
セルルックCGはアニメの未来に対するひとつの答え
こういうセル画らしく見えるCGアニメはセルルックCGというらしいです。セルルックCGでググるといろいろと情報が出てきます。
昔のCGアニメは「瞳」がどうしても人工物すぎて、目に光が入っていなかったんですよね。他は完璧だったんですけど。でも、キャラクターは目が命ですから、あまりにも致命的でした。
その「瞳」の問題も、完璧に処理されています。
もうCGとセルアニメの境界はほとんどなくなっていると言っていいでしょう。
CG時代に対応したジャパニメーションが、今後どのように発展していくのかすごく楽しみですね。
【映画感想】木村拓哉主演・無限の住人。そこまで悪くはないです。
無限の住人というと、だいたい20年くらい前に好評を博した、不死身のサムライの戦いを超美麗な画力で描いたマンガ作品です。
ファン層の多くは今やおっさんなのに、そのおっさんからの支持率がどう考えても悪いキムタクを主演にするのはどうなんだ? と封切り前からファンの間にどよーんとした空気が垂れ込めた本作。
映画の無料券をゲットしたので、怖いもの見たさで行ってきました。
木村拓哉の演技はどうだった?
みなさん気になるのはこれでしょう。キムタク演技と揶揄される一本調子の、キムタク特有の演技。
これが原作を台無しにするのでは? と危惧されていましたが。。。
いや、そんなに違和感なかったです。
よくよく考えてみると、主人公の万次さんって、ぶっきらぼうな物言いのやんちゃ系なんですよね。キムタク演技の型とそんなに違和感がありません。
ゆえに、キムタク演技はキムタク演技のまま「ちょ、待てよ!」が「おう、待て!」に微チューンする程度の変化でうまくアジャストしていました。
本当に違和感なかったです。
そういう意味では「木村拓哉は作品に対して貢献していた」と言えます。
むしろ、お凛ちゃんが微妙
どちらかというとキムタク万次より、万次さんの連れであるお凛ちゃん役のほうに違和感を覚えました。
声の軽い、ゆるふわな女の子がお凛ちゃんを演じています。
私の中のお凛ちゃんはもっと声が低い、優等生タイプの女性だったので、違和感を最後まで拭えませんでした。お凛ちゃん、原作でも役立たずではあったけど、ここまでふわふわだったっけ? みたいな。
このあたりは趣味なのでしょうけど。
客層は? 客入りは?
行ってきたのは「映画の日のような特別価格ではない、普通の日曜日」です。
通常価格(1800円)にもかかわらず、意外と客は入っていました。ハコこそ100人くらいで満杯の小さな部屋でしたが、5〜6割くらいは埋まっていましたから。攻殻機動隊とか半額の日にも関わらず、がらがらでした。
意外と健闘しているのでは? と思います。
あと、客層が興味深かったです。
客の多くが50〜60くらいのマダムでした。
当たり前ですが、無限の住人のファン層なわけありません。無限の住人の世代って、おそらく30〜40くらいのおっさん層なので。逆におっさん層はほとんど見かけませんでした。
マダムたちはキムタクのファン層でしょう。
つまりこれはキムタクのネームバリューが呼んだ客です。彼女たちは無限の住人なんて知らなくても、主役がキムタクだからこそ見に来てくれるのです。
そう考えれば、依然として元SMAP木村拓哉の集客力は結構なものがある、ということですね。
でも、原作クラッシャーなんでしょう?
むしろ原作リスペクトではないでしょうか。
無限の住人を読んでいたのは大昔だったので、序盤の詳細は忘れてしまいましたが、思い出した範囲+ネットで復習した範囲では、かなり忠実に展開していると思います。
最後こそ映画として終わらせるために映画オリジナルの展開になっていますが、これは話を決着させる以上、仕方ないことです。
ただ、ちょっと詰め込みすぎ感あると思うんですよね。
万次さんの永遠のライバル(?)、狂犬・尸良が自分の切断された腕の骨を削り出して、武器としてお披露目するシーン。原作において、あそこは尸良の異常っぷりが爆発していて、すべてのセリフが頭おかしい名シーンなのですけど、映画では全部ばっさりカットされて「万次、お前のおかげでいいもの手に入れたぜ!」になりましたからね。おかげで尸良のキャラの軽いこと軽いこと。
原作に忠実であろうとするのは素晴らしいですが、全体的に残そうとして個別に薄くなってしまった感はあります。
で、作品の出来は?
意外と悪くはなかったです。
いや、決して傑作とは言わないし、むしろ、それほど出来が良いとも思わないのですが、最初に設定したハードルが低すぎたので、それを考慮すると意外と健闘しているな、と。
個人的に脚本で気になったのは、単調なことですね。
これは原作の流れどおりやっているからですが、最初は逸刀流の剣客と順に対決していきます。
対決>インターバル>対決>インターバル>対決と次々と格闘ゲームのように対戦していくのですが、さすがに戦闘だけを繰り返されると、単調さはぬぐえないです。戦闘の展開も、万次さんが押しまくられた後、不死身パワーで一発逆転! の一本調子ですからね。。。
こんな感じで前半は同じリズムが続くため、少し眠くなりました。
あと、売りの大規模な殺陣シーン。
大人数を相手にばっさばっさと無双していますが、これもちょっと長すぎです。やっていることは剣を向けて威嚇して、敵の剣を受け流して、ばっさり斬る、だけですからね。これをひたすら繰り返しながら、ひたすら何分もやられると、ちょっと厳しいです。
そういった単調さや、全体的な薄さは気になりましたが、逆に言えばそれくらいしか気になりません。大きな破綻もなく、手堅くまとまっている作品とは言えますね。
【映画】攻殻機動隊を見てきた。サイバーパンク+ネオジャパンを楽しむ作品。
映画の攻殻機動隊を見てきました。
攻殻機動隊と言えば、一世を風靡したマトリックスの監督も大きく影響を受けたと公言するほどの有名作品です。
パソコンが一般ではない時代に、時代を先取りした超ネットワーク社会の世界観を構築したセンスがすごいですよね。
作中で使われている単語は今も色褪せず、たしかに未来にそういう世界があるかもしれない、といまだ思わせる存在感は目をみはるものがあります。
さて、日本の作品はハリウッド映画化されると、欧米人たちの押しの強さのせいか、魔改造されがちです。
カルト的な人気を誇る攻殻機動隊すらそうなってしまうのか、ならいのか、とても興味があります。
ストーリーは非常にオーソドックス
ストーリーとしては以下のような感じに展開します。
- 主人公のミラ(草薙素子と呼ばれてはいないが当人)が全身義体化して生まれる
- それから一年後、立派に公安9課のエースになったミラ
- 彼女は相棒のバトーとともに、頻発するアンドロイドのハッキングテロ事件の調査に乗り出す。
- なんとか主犯の男を追い詰めるも、その口から語られたのはミラの出自への謎と、生み出した機関の暗部。
- 混乱するミラの疑心は義体の研究機関へと向けられる――
話としては、わりとオーソドックスなミステリ/サスペンスで、何度も追い詰められながら、事件の核心に迫っていきます。
手堅い作りなのですが、手堅すぎるのでしょうか、引きが弱いんですよね。淡々と事件が進行していて、それを傍観している感じ。おそらく、予定調和の展開すぎて、意外性に欠けるからでしょう。
そもそも、主人公のミラが捕まりすぎです。2時間弱の上映時間の間に三回も拘束されています。本来ならピンチ・シチュエーションのバリエーションとして、アイディアを絞るところでしょうが、監督はそこに時間を使うのを良しとしなかったようです。
ただ、思うにこの作品でストーリーはあまり重要ではない(描きたいものではない)のでしょう。
彼らが描きたいものは、その世界観と、それをどう映像に落とし込むのか、という点です。
サイバーパンク+ネオジャパンの世界観
その独特な映像が、この映画の個性です。
冒頭の、芸者ロボが登場するシーンからカットんでいます。
白く塗られた顔のど真ん中、目鼻口のパーツを囲むように赤い円が描かれています。まさに日の丸ペイント。
それはマジでやっているのか!?
こんなシーン記憶に無いので、映画オリジナルだと思うんですが。
なんでしょう、これは日本の国旗へのリスペクトかなんかでしょうか?
いや、別にいいんですが。ただ、度肝を抜かれただけです(笑)
ぶっ飛んだ映像感性は舞台となる都市全体に広がっています。
治安の悪い薄汚れた未来都市、それがサイバーパンクのテンプレです。
それに「外国人の考えた、アジアンテイストの混じった(かなりズレた)NIPPON文化」が融合した世界観になっています。
監督は芸者さんが大好きなようで、冒頭だけではなく街のあちこちに姿を見せます。
というか、巨大立体広告とも言うべき、高層ビルと同じくらいの高さのホログラフィが街の至る所にあり、その巨大映像の多くが芸者だったりします。
お前、どんだけ芸者が好きなんだ!
そんな巨大な芸者が映像として映し出されている街。もう、その時点で圧倒的にクレイジーです。
おそらく、監督が描きたかったのは、この絵なんだろうな、と思います。ストーリーとかによる引きなんてどうでもいいのです。攻殻機動隊のサイバーパンクな世界観に、おそらくリスペクトとして自分の考えるJAPANの伝統を練り込み、近未来都市ネオジャパンの映像として爆誕させる。
それが監督のしたかったことです。
そして、その狙いは確かに形となっていて、映像の独創性は中々のものと言えます。もちろん、間違ったアジアンテイストジャパンの描写だけではなく、攻殻機動隊としての、義体の描画もなかなか凝っています。こっちのほうは、ごりごりのザ・サイバーパンク! といった感じです。
すっげー映像だなー、世界観だなーと思ってみるものでしょうね、この作品は。そういう意味では、原作のテイストに近いものがあるかもしれません。
日本の原作作品を題材にすると、何かと暴走しがちなハリウッド作品ですが、攻殻機動隊に関しては、わりと常識的な振れ幅に収まっているのではないでしょうか。
【映画】SING/シングの感想。すごく面白かった!
先日、映画SINGを見てきました。これがすごく面白かったので、ここで紹介したいと思います。
映画【SING】って何?
アナ雪やファインディング・ニモのような、アメリカで制作されたCGアニメです。
ゾウやブタのような、様々な動物たちが人のように街で暮らしている世界が舞台となります。
主人公のコアラ(バスター・ムーン)は子供の頃に見た「劇場」に魅せられて、オンボロ劇場の支配人になるも、全く経営がうまくいかない。借金だらけで電気代も払えない日々を過ごしています。
しかし、夢と希望にあふれるバスター・ムーンの頭に失敗の二文字はなく、必ず成功すると信じて、新しい事業を打ち出します。
「街で普通に暮らす、目立たないけど歌の才能あふれる動物たちを発掘して、プロデュースしよう!」
バスター・ムーンの閃きはありふれたものでしたが、おっちょこちょいな事務員のミスと不幸な偶然が重なって「1000$」の賞金が「10万$」の賞金で告知され、あっという間に街中の話題に。
もちろん、借金だらけのバスター・ムーンにそんな金はありません。
しかし、その賞金に釣られて街中から歌自慢たちが姿を現します。バスター・ムーンは告知された賞金の額を知って目をむきますが、このチャンスを逃してはならない! と判断してコンクールを続けます。
そして、最終的に集ったのはこんな個性的な面々でした。
- 20匹以上の子供を持つブタの主婦、ロジータ
- 無理やり犯罪者グループで働かされているゴリラ、ジョニー
- ろくでもない彼氏に振り回されるハリネズミのロッカー、アッシュ
- 金にきたなく利己的な性格のネズミ、マイク
- 歌声はバツグンだが恥ずかしがり屋で歌えないゾウ、ミーナ
わけありの面々をまとめあげ、バスター・ムーンは最高のショーで起死回生の大逆転を狙おうとします。
という、お話。
前半の面白さ
ハラハラした展開で観客をあきさせず、最後まで注意を引きつける、というのは映画のお約束ですが、SINGもなかなかうまくできています。
前半の引きはこれでしょう。
- バスター・ムーンに金はない(払える賞金はない)
- 心優しいゴリラのジョニーは犯罪グループに(いやいや)参加
この2つが実に話を揺らしてくれます。
金がないバスター・ムーンに賞金が払えるわけもなく、賞金が入っているという箱にはただガラクタがあるだけ。
で、何度かこの箱が開かれそうになるんですね(笑)
その瞬間、あー! あー! って視聴者はなっちゃうわけです。このあたり、展開がうまいなーとにやにやしてしまいます。
また、ゴリラくんが犯罪者、というのも非常にアクセントが効いています。
彼は心優しい人物で、本当は、犯罪ではなく自分の好きな歌を歌うことで生きていきたいんですよね。
このあたりの心情も、観客は共感ができるポイントです。
でも、彼は現役の犯罪者であり、そういう生き方が身にしみている。だから、道を踏み外しそうになる。
そういった展開も、観客はハラハラしながら見るわけです。
他のキャラクターたちもコミカルな展開に一役買っており、実に楽しませてくれます。まるでジェットコースターのようなワクワクした展開で、あっという間に時間がすぎていきます。
クライマックスでもサービス精神はおさまらない
ご想像どおりだと思いますので、これは書いてしまいますが、クライマックスはもちろん、劇場でのド派手な歌唱シーンです。
これもまた、本当に面白いんですよね。
キャラクターたちの生き様にぴったりあった過去の名曲を、楽しい映像とともにこれでもかと繰り出してくる展開。
正直、もうこれで充分なんですよね。これだけでも本当に楽しい。
でも、脚本家は手を抜かないです。
ただの歌唱シーンではなく、いろいろなハプニングをまぜながら、観客の興味を引き続けます。そこまで徹底的にやるのか! と舌を巻く、手抜きのない演出に楽しませてもらいました。
あっという間の100分でしたね。
特に面白かったことは?
面白いなー、と思ったのは、登場人物が動物、ということですね。動物だからこそ、サイズの大小が人間よりもはるかにバリエーションに富んでいます。
だから、描かれるシーンの視点が、主観となる動物ごとによってまちまちなんですよね。ネズミのような小さな体の視点にたてば、どんなシーンも目新しいもので、わくわくしてきます。そういった、普通は味わえない視点で物語を眺めることができるのも、非常に楽しかったです。
シーンの視点だけではなくて、動物の体のサイズに基づいたリアクションの違いもあちこちに散りばめられていて、コミカルに楽しませてくれます。こういうのは人間を主役にするとできない演出で、動物を主体にした物語ならではと言えます。
物語も演出も細かいところまで作り込まれている名作だと思います。ぜひ観てみてください。
映画「君の名は。」は、いい感性チェッカーですね
大ヒット上映中の「君の名は。」。
面白い、という人もいれば、あれ? そうでもないんじゃね? という人もいます。
大ヒットしている作品は色々な人の目に触れるので、賛否両論なのは仕方ありません。ただ、他の人気作品と比べると賛否の比率がわりと真っ向からわかれている感じがします。
おそらく、君の名は。、を受け入れるかどうかって、この映画の1シーンをどう思うかじゃないかな、って思うんですね。
ネタバレを避けるためにぼかして書きますが、こういうシーンがあります。
お互いにとある情報を交換してメモしあうんですよ。で、そのメモを持って別れるわけですけど、ヒロインがそのメモを少し経って落ち込んだときに偶然、見るんです。
そうしたら、励ましの言葉が書いてある、と。交換しようとした情報ではなかったと。
でも、それで女の子は元気を出して、もう一度、頑張ろうとするわけです。
そのとき、「ぐわああああああああ! 鳥肌!」って感動する人と、「いや、違うやん。約束した内容のことを書けよ。何、関係ないこと書いてんねん」とか「いや、そのメモをどうして、すぐ見てないんだよ、おかしいだろ」とツッコミが頭によぎる人、2種類いる人がいると思うんですね。
もちろん、前者が「君の名は」は傑作だ! という人たちです。逆に「きもっ!」と思う人は微妙なのでしょう。だいたい全編こんな感じのノリなので。
なので、自分がどっち側の存在なのか、自分の感性を試すにはちょうどいい作品です。
君の名は。、は全体的にシーンの盛り上げに気遣っている印象があります。とにかく盛り上がればいい! こまけーことはいいんだよっ! 的な。
なので、そこが気になる人には、うーむ、話に入り込めない。的な感じになるのではないかなー、と思うわけです。ただ、少なくとも、その演出重視の勢いにハマる人も多いわけです。
全員が納得できる凡庸な作品よりも、多少の無理があっても勢いで押し切る作品のほうが、メガヒットの可能性は高い、ということでしょうか。大事なことは「演出」です。
宮﨑駿御大は、前にテレビでこんな趣旨の発言をしていましたね。
「映画で大事なのは1シーン、1ショット。心に残る絵が、映画なんだ。ストーリーなんて気にしない」
結局、人に伝わるかどうか、刺さるかどうかなんて、感性の世界の話なんでしょうね。
そして、刺さってしまったら、多少の物語の矛盾は気にならなくなってしまう、たとえご都合主義的であっても奇跡を祈ってしまう、それが人の心なのでしょう。
早逝の天才棋士を描いた映画「聖の青春」が面白い
嫁>松山ケンイチが出ている「聖(さとし)の青春」がみたい
というわけで、世界の片隅にがブレイクしている最中、映画「聖の青春」を見てきました。
結論。むっちゃ面白かったです!
わずか29歳で早世した天才棋士、村山聖が亡くなる直前の数年を描いた作品です。
聖役を松山ケンイチさん、生涯のライバルとなる羽生善治役を東出昌大さんが好演しています。
プロ将棋の世界って、最近はアニメ「3月のライオン」やプロ棋士vsコンピュータの「電王戦」で盛り上がっているイメージですが、詳細不明なところがありますよね。そういう世界をのぞく、という意味でも面白そうじゃないですか?
村山聖って?
村山聖は、今も将棋界のトップランカーとして君臨し続ける天才棋士・羽生善治と同世代のプロ棋士です。いわゆる羽生世代と呼ばれる人ですね。
幼少の頃に「ネフローゼ」という難病にかかってしまい、高熱と体調不良に悩まされる日々を過ごしていたそうです。
入院している最中に将棋の世界を知り、そこからメキメキと実力をつけ、あっという間に段位を駆け上っていきます。
Wikipediaによると
奨励会員時代から「終盤は村山に聞け」とまで言われたほどであった。その代表的なエピソードは、村山を含む棋士達が、A級順位戦の対局を関西将棋会館の控え室で検討していたときのことである。そこへ、関西の大御所で詰将棋作家でもある内藤國雄が入室してきて「駒(持駒)はぎょうさんある。詰んどるやろ。」と言う。そこでほとんどの棋士達が一斉に詰み手順を検討し始めたところ、「村山くんが詰まんと言っています。」という声が上がる。後に内藤は「詰みを発見しようという雰囲気の中で『詰まない』と発言するというのは相当な実力と自信」と賞賛している。
というほどの実力と自信を兼ね備えていたそうです。勝負師としてのプライドが垣間見える、カッコイイ逸話です。
天才は天才を意識する、というわけで、自然、彼は同世代の最強棋士、羽生善治七冠を意識し始めます。
村山聖は羽生善治に追いつくために東京に移住し、病気に苦しみながらも棋力を高め、勝負の世界に挑み続けます。
映画自体は、だいたいこのあたりからのスタートになりますね。
見どころは?
将棋の強い人=天才=変人というのが世の中の見方でありまして、ゆえにどんなに変人に演じても「将棋強い人だから」の一言で許されます。
というわけで、二人とも、いかに「挙動不審者」を演じるか、という点で、激しいせめぎあいをしています。夜道を歩いていたら、警察に補導されるレベルの怪しさが満載で、その演技力に舌を巻きます。
どちらかというと、私は脚本(ストーリー)指向なので、あまり俳優の演技には注意を払わないのですが、本作は二人の怪演が面白すぎて、映画に没入してしまいました。あんまりない経験だったので、新鮮でしたね。
演技が面白い上に、脚本もところどころみ、村山聖という強烈な個性とのギャップを狙ったコミカルなシーンが散りばめられており、最後の最後まで退屈せず、興味を持って鑑賞できます。
そういった展開で面白さも担保しながら、真剣な将棋による勝負シーンは、まるで真剣を構えて睨み合うかのような、凄まじい緊張感が映画館を包み込みます。
まじで俳優すげえ! と背筋が痺れましたね。
将棋盤を睨みつけるだけの、ただそれだけの演技で、ここまでの緊迫感が出せるのか! と驚きました。何もない、セリフすらもない空間だからこそ、俳優の演技がはえます。ただただ、我々は固唾をのんで見守るだけ。そんな空間に身を置けたことが、この上もなく幸せでした。
そんな素晴らしい青春を過ごしつつも、聖の体はだんだんと病魔に蝕まれていきます。
「病気があったから、僕は将棋と出会い、羽生さんと戦えた。神様のすることって僕にはわからないです」
天才棋士として燃えつきる人生と、将棋とは無縁だけど健康で大過なく幸せな家庭を築いて死んでいく人生。聖は選べるとしたら、どちらを選んでいたのでしょうね。